みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

少し前にカミュについてのお話をさせていただきましたが、ここではフランスのもう一人のノーベル文学賞作家(本人は受賞を辞退)で哲学者のジャン=ポール・サルトルとその思想をご紹介したいと思います。

皆さんも日曜日夕方ごろになると、自由な時間が終わって次の日が仕事や学校になり憂鬱になると言った経験があると思います。私は体が弱かったので、特に小学校はつらく、夏休みや冬休みを心待ちにしていたものでした。ところが、あのつらかった教育課程が終わるとどうか、その後の選択肢はあまりに多い、何が自分に向いているかわからない、不安ばかりで、全く生産性のない日々を送っていた時期もあります。
そしてある時、私はサルトルの哲学に出会うことになりました。印象的だった言葉としては
「人間は自由の刑に処せられている」でした。これは至るところで紹介されている、あまりに有名な言葉です。この言葉が意味することは何か、例えばコンピューターゲームにはどれもなんらかの遊びとその目的があります。野球、サッカーに将棋や囲碁なども同様です。
では人生はどうか?そもそも人間の場合、人生はその始まりの時点で、自ら生まれようとして生まれて来るのではありません。同時に人生そのものも特定の果たすべき目標があるわけでもない。
これを踏まえてサルトルは、人生の全てを自分の意思で決めなければならず、しかもその際の折々の選択には責任が当人にあると言うこと=自由の刑と命名しました。このようなものを含む思想をまとめて「実存主義」と呼びます。カミュもそうでしたが、サルトルもまた、神様はいないという立場の人なのでしょう。(カミュは「理不尽との闘争」が根底に含まれていますが)

*この辺りは私には解説しきれない内容なので、興味のある方はまずは倫理の教科書や資料集を読んでみてください。
終わりに
人間は常に迷いの道を歩んでいると言っていいでしょう。しかしながら天に示された生き方はまったく無い、ならばその中において、自分で人生の価値を絶えず作り出すこと。そのようなことをサルトルの哲学は我々に問いかけているのではないかと私は考えます。
この思想をどう捉えるかは皆さん次第ですが、いかなる哲学も考えることから始まるのは間違いありません。

参考文献
⚪︎清水書院 「最新版倫理資料集ソフィエ 智を学び夢を育む」
⚪︎文英堂 「シグマベスト 理解しやすい倫理」
藤田正勝著