みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

タイトルは私の大好きな漫画「ドラえもん」の中でも最も好きな短編から取りました。(小学館てんとう虫コミックス4巻収録)この短編ではのび太もおばあちゃん子だったことが描かれますが、私もそのようなものでした。
私は早くに母方の祖父を亡くしたため会ったことがなく、それ以来祖母は孤独でした。その後少しして私が生まれますが、さすがにこの時期の記憶はありません。
しばらくして弟が生まれる頃、父方の家族は仕事で忙しいため私の面倒を見ている余裕はなく、川崎の祖母の家に預けられることになりました、思い出深い時期で、忘れてしまったこともありますが、一緒に商店街に行ったり、病院へ母のお見舞いに行ったりしました。祖母は当時から不眠症気味だった私を忍耐強く観てくれました。

 弟も無事産まれ、全てが終わった後、父方の祖父が祖母に決して安くない謝礼金とお礼のお米を持ってきて、私に対してはこの人に感謝するように、と言ったそうです。(あまり覚えていないのが残念ですが)実業家で厳しい人でしたが義理は通す人でしたね。
そういう人が周りにいる状態で、私は育っていきました。やがて小学生になり、夏休みに入ると必ず川崎の家に行き、ゲーム機と宿題を持ち込んで宿題を消化しながら遊んだり、弟は祖母があやして、私は母と映画館でドラえもんの映画を観たりしました。
当時はそうした子育てができるあたり、社会が技術力としては未熟でも精神的におおらかな時代だったと思います。それでも当時には当時の、今には今の良さがあると言えるのは間違いありません。
たまに現代を嘆く人がいますが、問題はあっても、スマホにタブレットにAIとテクノロジーの水準が極めて高いため、ついていける人には現代はいい時代だと思います。

 さて、夏休みの宿題は自由研究などの厄介なもの以外は川崎にいるうちに、7月中に終わらせるのが私の習慣で、早く終わらせて8月フルに遊ぼうという真面目なのかいい加減なのかわからない信条はこの時すでにあったのでした。
当時はスマホはおろかガラケーすらない時代、現代ならば簡単に調べられることも、国語などは辞典を用意して調べなければなりませんでした。SNSの人間関係など現代には現代の悩みがあると思いますが、不便さという意味では90年代の方がはるかに上だと思います。
 そんな状態ですから祖母の家に行く時電車の路線を間違えて酷い目にあったり、なんとか連絡を取ろうと炎天下の中公衆電話を必死で探したことがあります。

しかし祖母の孫を見て嬉しそうな顔を思い出すと、時折実にセンチメンタルな気分になります。当時はまだ近所の人が一人暮らしの祖母のためにいろいろ食べ物を差し入れしてくれるなど、ある種の助け合いの精神は残っていたと思います。しかし孤独は大変辛かったことでしょう。母曰く、よく寂しくて辛いと述べていたそうです。
祖母は慈愛に溢れた人で、いつでも私や弟のことを可愛がってくれました。まだ全くいたりませんが、こうした慈しみの精神はぜひ継承したいと思っています。

悔やまれるのは、栄養状態も関係するとは思うのですが、孤独からか比較的早くアルツハイマー病を発症してしまったことです。あんなに優しかった祖母が早くのうちに攻撃性や記憶障害などの症状を発症してしまったのです。泣けるほど悲しかったですね
診断が降りたのは私が小学校5年生の頃でした。
このまま1人で川崎に住まわせておくのは不可能なので、祖母は川越市の老人ホームに入居することになりました。これは当時だからできたことで、2024年現在では高齢化の進行、費用の問題や介護士不足などの問題で、入居はなかなか実現できないでしょう。
アルツハイマーとはいえ、祖母は意外と長く生きました。もとからユーモアのある面白い人だったので職員の方々に可愛がられ、おそらくは幸福な老後だったのではないかと私は思います。
亡くなったのは私が高校二年生頃のことでした。その様子を見ていた母の話から推測しますと、比較的安らかに最期を迎えられたのでしょう。

話は大きく変わりますが、漫画ドラえもんでのび太のおばあちゃんが登場する回はもれなくおばあちゃん子だった全ての読者に感動を与えたことでしょう。私はのび太のおばあちゃんと自分の祖母をつい重ねてしまう癖があります。
おそらく原作者の藤子・F・不二雄先生のお婆様もそのような方だったのでしょう。2000年の劇場版ドラえもん二本立てのうち短編30分枠で上映された「おばあちゃんの思い出」は今も忘れられません。

しかし近年では他人への思いやりの心や博愛の精神が薄れてきているように思います。当然人格者と言える素晴らしい人は今もいますが、昨今ではそもそも人間関係そのものが希薄になったように思えてなりません。
経済的、精神的に余裕がなくなると他者に関わっている暇はなくなりますし、優しさの意識が弱くなるというのはわからなくもありませんが、もう少し愛のある社会になってもらいたい。それが私の願いなのです。
ただ勘違いしないでいただきたいのは、私は現代の技術や文化などの優れた点を否定しているわけではありません。時代によって良い面悪い面といったものは変わっていきます。

最後になりますが、祖母は勉強以外の倫理、道徳、博愛を優しく教えてくれました。こうした人になるのは私の目標です。

本稿は以上です、読者の皆さんもお世話になった人や尊敬できる身の回りの人は大切にしてください。感謝が足りていないと気づいた頃にはもう遅い、ということのないようにされるようお祈り申し上げます。

珍しいエッセイのような記事に仕がりました。