みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

この記事をお読みの方の中で、英検を学校で受けさせられたり、周囲に勧められて受けてみた、という方はいらっしゃいますでしょうか?
最近ですと英検以外にもIELTSやTOEIC、TOEFLなどのスコアも入試や就活、転職などの際重視されるようになり、国際化が進む現代では求められる英語力も多様化しているようです。

そうした状況を受けてか、ここ10年で英検が極めて難しくなったのを感じます。
大きな変更点として、英作文の追加と英文要約問題の追加(2級以上から)があげられます。
私は英検2級を持ってはいますが、英文要約や英作文のない頃の2級なので、今と比較すると随分と簡単な試験でした。当時はそんな制度はなかったのですが、各種学校で試験の時、いい英検やTOEICのスコアを持っていると、英語の点数に加点されたり、そもそも英語の試験を無しにしてくれるなどの優遇措置を行う大学もあるようです。
 数ある試験の中でも影響力という意味ではTOEICが優遇されることが多いように感じますが、あれは点数が出ておしまい、という試験なので、合否の概念がないのでやりがいがあるかというと今ひとつですね、試験時間は長いですし問題数も極めて多いので、非常に疲れる試験でもあります。私は無理やり受けさせられたことがありますが、後半でやる気をなくしていい加減にマークした結果340点とか、そんな点数になったのを覚えています。
やはり拘束時間が比較的短く、合格不合格がしっかり出る英検の方が私としては合ってますね。難化も時代の流れで仕方ないと思います。

ただし、これは漢検や数検にも言えることですが、受験料が上がりすぎです。どうやら2024年でまた値上げしたらしく、英検1級と準1級に至ってはついに一万円を超えてしまいました。ここまで来ると、ある程度勉強した人すら腹を括って挑まなければいけませんね、高すぎです。人気のTOEICにそんなに押されているのでしょうか?(もっとも、最近TOEICも値上げしましたが)
英検については上位級の作文問題の採点などの手間が増えたからだとは思いますが、インフレが激しいですね。

コロナショックが発生した時、フランス語検定が存亡の危機にさらされたことがありますが、英検は
フランス語検定と違って小学生、中学生も当たり前のように受けにくる試験ですから、こんな状況ではそうした受験者にやさしくないものになってしまいます。
あんまり値上げされてしまうと、この不況ですから、受験者が減る可能性は十分にあります。自分の英語力の物差しとして一番好きな試験なので金銭的理由で受けにくくなるのは困ります。

 私の事情を語るのはこのくらいにして、英語学習を論点とすると、昨今の動態としては、早期英才教育の結果か小学生で英検2級などを取得する優秀な子供たちもちらほら見聞きします。そのチャレンジ精神や好奇心については文句なしの拍手をお送りしたいと思います。

ただし、日本社会に散見される極端な英語至上主義、例としては大企業の楽天などがそうですが、社内の公用語を英語にするという一部の企業について、それは偏りすぎではないかと憂慮しています。もちろん英語は世界的言語であり現代社会において学習は必須の言語となっている以上、英語ができることはメリットしかありません。ただ、私なりの文科省への提言として、英語への傾倒に関して幾らか思うところがあると言うだけです。
今のカリキュラムでは小学生高学年から英語教育を行うようですが、これに対して、私には自分で勝手に思っている持論があります。それは、

「日本人が日本語を使って育つ以上、その人の日本語のレベル以上の英語力をつけるのは困難である」

というものです。そもそも英語圏でも日本語は韓国語や中国語などとともにアメリカ人にとっての超難関言語の一つに指定されており、日本人が英語を学ぶのは水と油を無理やり混ぜるようなことをやっているようなものです。ですから、英語の早期教育については私は猜疑心を振り払うことはできません。英語はたしかに重要です

しかし、「まずは、国語をしっかりやろう」

私の提言はこれだけです。語彙が増えて、論述ができるようになれば、英語力も自ずとついてくると私は思います。



現在、いわゆるレベルの高い大学の文系学部においては、入試の際英語の配点が最も高い場合が多いです。日本政府も国策で「スーパーグローバル大学構想」を実行に移し、比較的難易度の高い大学を中心に、英語教育の拡充と留学を推進しましたが、その前にその学生の国語力は問題ないかテストするべきではないかと私は思います。少し調べたのですが、日本を代表する難関大学の二校京都大学と東京大学では理系でも二次試験で国語を課すようです。受験生の皆さんにはたまらないでしょうが、試みとしてはいい傾向だと思います。ただし、あくまで私は過度な詰め込みには反対の立場です。

 今は止まらない少子化の時代ですから、少数精鋭のエリート教育をやりたいという意向は分かりますが、人間の脳は無尽蔵にものごとを記憶することはできません、必ず限界があります。文科省もそのあたりが思慮に欠けてはいないでしょうか?

今回は英検とTOEICの値上げの話から入りましたが、その前に日本語の語彙を増やして国文法を正した方が遠回りではあるものの英語の上達につながるのではないか?そういうお話でした。皆さんはどう思われますか?教育に正解はないので、「その理屈はおかしい」と思われる読者の方もおられるとは思いますが、私個人の考えとしては以上のようになります。



長い記事になりましたがお読みいただいた方には感謝申し上げます。