みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

藤子・F・不二雄先生最大のヒット作「ドラえもん」は基本的にはギャグ漫画ではあるのですが、時折読者を戦慄させるブラック短編を書いています。

もう結構経ちましたが、当時シンエイ動画が何を考えたのか2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻が始まって最初期のころ、アニメドラえもん4月上旬の回にて、ドラえもんファンの間では有名なホラー回「どくさいスイッチ」が放送されました。当時Xで「わざとか⁉︎」という声が多くあがっていたようです。 ブラックなドラえもんを象徴する回なので、非常に知名度も高いと思われます。僭越ながらレビューしつつ解題を試みたいと思います。

どくさいスイッチ ©️藤子・F・不二雄 てんとう虫コミックス15巻「どくさいスイッチ」 1978年7月25日初版発行、小学館 長さ10ページ 著作権に配慮するため一部省略しつつあらすじを紹介します。

ある日草野球で大敗したジャイアンは、怒りのあまり大量失点をしたのび太をバットで殴打します。 ジャイアンの攻撃に耐えられなくなったのび太は落ち込み、部屋で愚痴をこぼす。ジャイアンに攻撃されたくなければ、野球を磨けばいいのに、と困るドラえもん、あくまでジャイアンにいなくなって欲しいというのび太、するとそうか…と仕方なさげにドラえもんはどくさいスイッチをのび太に与えます。

のび太はドラえもんに唆されて、まずさっきの続きだと言ってまたバットで殴ろうとするジャイアンを消します。するとしずかちゃんや先生に聞いてもジャイアンの母ちゃんに聞いてもジャイアンという人物はいないと言われてしまいます。  しかし、ジャイアンのいない世界ではスネ夫が暴力を振るうようになり、のび太は身を守るためスネ夫にもどくさいスイッチを使ってしまいました。大変なことをしたと思い罪悪感にかられドラえもんに2人を戻してほしいと頼みますが、不可能と言われてしまいます。スイッチの恐怖に怯えるのび太、さらにいくら消してもすぐに次が出てくる、こんなシステムの道具なので敵対者がいなくなりません、昼寝をしてもいろいろ被害妄想的な悪夢を見てやけになったのび太は全人類に向けてどくさいスイッチを押してしまい、全人類を消してしまいます。

 初めは邪魔者が全ていなくなったと喜ぶのび太ですが、大抵の遊びは1人ではできないことと、誰もいない孤独感に苛まれてついには「ジャイアンでもいいから戻ってきてくれ!」と悲嘆に暮れるのでした。そこに現れたのはなぜかドラえもん。のび太に対し、誰も彼も消去したらきりがないでしょ?、そういう考えを持つ人を懲らしめるためにこの道具があるんだ、元に戻そう。(要約)と消去してしまった全人類を復活させ、次の日ドラえもんとのび太は空き地で野球の練習をはじめます、ジャイアンとスネ夫には冷やかされますが、のび太はそれを聞いて喜ぶのでした。おわり

解題

大人も子供も、生きる上で諍いは絶えません。イギリスの哲学者のホッブスは自然な状態(政治というものが介入しない状況)においては「万人の万人に対する闘争状態」が発生すると述べましたが、そのために人は法やルールを作って秩序を保とうとします。しかし、のび太と空き地のみんなという子どもだけのコミュニティにおいては腕っぷしがいちばん強いジャイアンがルールになってしまい、これを調節する役回りの存在はいません。さらに悪いことに、ジャイアンというキャラクターは大抵の場合いつもわがままかつ攻撃的で、いくら練習をしないから怒りがのび太に行くとはいえ、この暴力はやりすぎであるしこの回ではドラえもんも野球の練習をしなさい、と癖のある助け舟を出していると思います。平時においては独裁者はジャイアンであり、のび太は普段、ドラえもんと秘密道具というイレギュラーの力を借りて、ジャイアンの理不尽な暴力に対処しているに過ぎません。今回の場合はどくさいスイッチがそれに当たるものの、今作では、のび太の側にも落ち度があるかのように描かれている面があるの(殴られないための努力をしない)で、昭和の根性論を幾らか感じます。天才とはいえF先生も昭和初期の人であるし、ドラえもんも未来の世界の便利屋が仕事ではないのでしょうがないといえばしょうがないのですが。

また、独裁について言及させていただきますと、手っ取り早いのが特徴で例えば政治家や軍人などの間で邪魔な存在がいたと仮定して、いっとき粛清でうまくいっても、次第にトップやその周囲の人間の間に溝が生まれ次の粛清、そのまた次の粛清と言った具合に際限ない猜疑と拭い切れない孤独を生み出します。具体例をいくつか挙げますとヒットラーやスターリンといった独裁者は猜疑心のあまり平民のみならず、有能な将軍や部下をも次々に死に追いやり、大量の戦死者を出しました。F先生は戦争経験世代であり、歴史にも詳しい人だったので、日本帝国やナチスドイツ、ソ連邦の独裁政治などにも関心があったのでしょう。ドラえもんの作中では独裁の話は短編以外でもしばしば映画化されたのですが、「大長編ドラえもん のび太と宇宙小戦争」およびそのリメイクの「のび太の宇宙小戦争2021」などはその筆頭ですね。この回が放送された時期ですと視聴者の意識の対象はロシアになるでしょうが、みんな独裁者に忠誠心など持っていない、処刑されないために渋々従っているだけだ。独裁国家の民衆の考えなど、大抵がこのようなものでしょう。一応申しておきますと、韓国の朴正煕大統領やユーゴスラビアのティトー将軍のようなカリスマ独裁者もいなかったわけではないのですが。

この回は独裁の行き着く先は基本的には孤独しかないことを、子供でもわかるように書いた傑作と思います。気に入らないからってどんなに敵対者を消していっても、きりがないからやめよう、あと、孤独は辛いぞ?これがF先生の出したこの作品のメッセージでありどくさいスイッチはそういう事を教えてくれる道具なのでしょう。  さきほどウクライナ戦争初期のころにどくさいスイッチが放送されたと書きましたが、アニメドラえもんがいったいどのようなスケジュールで製作を決めているのか気になりましたね。毎週放送している以上、けっこう前から決めておかないと制作が間に合わないと思うのですが。

どくさいスイッチの回そのものは何度かリメイクされてアニメで放送されていますが、ある種の童話的な教訓話として、のび太の持つミクロな視点から独裁政治の問題点を突いていると言えます。早くロシアもウクライナも争いが収まりますように…