みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

最近とあるYouTuberの方が韓国史を取り上げて替え歌を作ったり解説動画を作ったりしており、それらに影響を受けて「現代韓国史」という新書を読みました、感想を述べつつ、概要を論じたいと思います

1945年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受け入れて降伏します。ここに枢軸国は全て米英ソに敗北し、植民地を全て失いました。 さて、第二次世界大戦が終結した後、東アジアは平和になったかというとそうとは言えません。今では優秀なドラマやBTSなどが有名な資本主義国家となった韓国ですが、独立当初はかなり悲惨な状態で、北朝鮮以下のGDPだったと言われていました(むしろ、北朝鮮は独立当初は優秀と言っていい)。そんな中で1949年にソ連が核兵器を保有すると朝鮮戦争が発生(1950ー1953)韓国初代大統領李承晩は北朝鮮軍に対抗するべくアメリカに助けを求めました。米軍含む国連軍はやはり強く、釜山まで攻め込まれた状態から一気に押し返しました。 対し北朝鮮のトップ金日成は、支援がこれだけでは足りなくなります。そこで中国軍にも助けを求め、こっそり派兵してもらったのですが、どちらも譲らないこう着状態が続き、司令官のマッカーサーは北朝鮮に原爆を落とそうとしたため、危険人物と思われ、アメリカのトルーマン大統領に解任されました。 最終的に北緯38度線、板門店を国境地帯とし、休戦状態として現在に至ります。しかしときどき砲撃事件やミサイル発射事案が発生し、緊迫した状況にあります。 李承晩大統領は1960年選挙が不正であると明らかになるとハワイに亡命し、そのまま老衰で死去(詳しく書くとキリがないので省略していますが、この人がやったことは日本にとってはマイナスなことばかりです。代表的なものに勝手に国境を決めた李承晩ラインがあります。これで竹島問題が生まれました。

不正選挙が発覚後韓国軍の朴正煕少将が1961年に軍事蜂起し、政権を握りました。以降1980年代まで韓国は軍人による政治が続きます。 大統領となった朴正煕は、反共産主義運動を広げ、また経済を立て直すべくセマウル運動という農地改革や、日本と国交を正常化(1965年)し、賠償金を国民に使うのではなく投資に使い、漢江の奇跡という脅威的な発展を遂げました。しかし朴大統領は独裁、民主化運動の鎮圧、ベトナム戦争への派兵に伴う韓国軍の不法行為など容赦のない命令をしていたのも事実で、憲法を勝手に改訂し大統領権限を強化し、一部で反感を買いました。 金大中は朴大統領の反民主政治に反対で、1971年の選挙で朴大統領に得票数でかなり迫ったのですが、これで目をつけられ、朴大統領の差金で交通事故に遭い、大怪我をしました。 そして1973年、日本にいた金大中は朴正煕陣営の者に拉致されます(金大中事件)これは重大な主権侵害であり、日韓関係が悪化しました。金大中について言えば、非常に運がいい印象を受けます。こんなに狙われていては三回くらい死亡していてもおかしくありません。  他方、朴大統領の側も1974年、朴大統領夫人暗殺事件が発生、金泳三議員との対立と学生デモの武力鎮圧と、次第に権力基盤が揺らいできます。そして1979年10月26日、宴会の席で朴大統領はKCIA(大韓民国中央情報部)部長の金載圭と口論になり、射殺されます。 ここに、韓国を最も発展させ、最も強権を振るった男はその生涯を終えたのでした。