みなさんこんにちは、川越市六軒町にある就労継続支援B型事業所あしたのタネ川越六軒町のmです。

前回は戦後韓国史の、朴正煕大統領の政治とその死までを概説いたしました、今回は韓国の民主化までを扱いたいと思います。 朴正煕暗殺事件の結果KCIA部長金載圭、大統領の寵愛を受けていた車智激が結果として死亡することになり(金載圭はのちに絞首刑で死亡)代理の大統領として崔圭夏が1979年11月に大統領に就任、ソウルの春という国内での民主化への期待が俄かに高まりました、崔圭夏政権に対しては退陣と早期民主化を求めるデモが頻発し、金泳三、金大中、金鐘泌の「三金」による政権運営が叫ばれます。このころ韓国軍が不穏な動きを見せ、ついに1979年12月12日、盧泰愚少将、全斗煥少将らハナフェグループ(朴正煕時代に作られた私兵組織)らを中心に韓国軍が反乱を起こし(シビシビ事件)その中で崔圭夏大統領は一年後までに憲法改正と選挙を行うと宣言し、1980年2月、金大中らの公民権が回復されました。

全斗煥らは朴正煕体制への回帰を狙い、彼らの派閥は「新軍部」と呼ばれ、朴正煕以来2度目の韓国の軍事蜂起を行わんとしました。1980年5月17日崔圭夏大統領は憲法に則り戒厳令を発します。軍と民の闘争が始まり金大中ら政治家、学生運動家労働組合幹部を一斉に逮捕、民衆を不当に虐殺する行為が横行、世に言う光州事件です。8月、崔圭夏大統領は下野し9月、全斗煥少将は大統領に就任、朴正煕大統領暗殺事件に居合わせたのが仇となった鄭昇和大将は、ハナフェグループと対立していたため逮捕されました。 「新軍部」は強引な鎮圧を行い、金大中の釈放を求める市民たちをも攻撃、多数の死者が出ました。のちに大統領となる現代建設社長の李明博は新軍部勢力に連行され「三金」との関係について恐らく暴露を強要させられ不正蓄財容疑で処罰されそうになります。

 李明博は三金との接触を否定、現代グループも彼らに資金を提供したことはないと釈明し、ひとまずその場を乗り切りましたが現代財閥と新軍部の関係は不穏で、自動車産業の統合を命令され、現代財閥は強く反発しました。新軍部との交渉は李明博が行い、長い交渉の末なんとか成功します。しかし李明博や弁護士でのちの大統領の盧武鉉のように、新軍部による政治を疑い出す勢力が現れつつあったことも事実です。 光州事件で軍部が荒れ出す中で、金大中はKCIAの取り調べを受けます、嫌疑は社会不安醸成および学生、労働運動等騒乱の背後操縦です。  新軍部の狙いの一つは金大中の粛清で、1980年8月14日、軍事裁判にかけられ、やはりというべきか死刑判決を受けます。金大中の人生をこうやってなぞってみますと、命の危機にさらされてばかりです、よく自然死できたものです。 最終的にドイツの働きかけもあって恩赦があり無期懲役から懲役20年と減刑されるのですが、かつて朴正煕元大統領による作為的な交通事故で痛めた股関節をアメリカで治さないかと説得され、1982年末アメリカに亡命しました。

金大中のいない韓国では、金泳三が主役となります、彼にも新軍部による軟禁など強権的な対応がなされるのですが、金泳三は全斗煥の軍事勢力に対し、断食という抵抗をしました。光州事件から3年、1983年5月16日の事です。これはワシントンの金大中にも報じられ、2人は連帯を決意しました。  政争が続き、全斗煥は激しく選挙で抵抗しますが、1987年6月、新軍部は民主化勢力に屈服(6.29民主化宣言)盧泰愚大将が軍人最後の大統領に就任、翌年のソウルオリンピックが成功に終わると1990年来日、現日本国明仁上皇(当時皇太子)および海部俊樹首相と会談、1992年12月、金泳三が文民初の大統領に就任し、盧泰愚は退任、ここに独立以降続いてきた軍政は終わりを迎えるのでした。しかし、1997年のアジア通貨危機で金泳三の政治基盤が揺らぐと、僅差の得票数でようやく金大中が大統領に当選、2000年6月北朝鮮の第2代指導者金正日総書記と会談、融和的な姿勢をとります(太陽政策)この功績で現時点(2024年4月)唯一の韓国人ノーベル賞(平和賞)受賞者となりました。その後は日韓ワールドカップ(2002年)で日本に接近、翌年「冬のソナタ」などが注目され韓国ドラマがブームになるなどかつての軍事独裁カラーを薄め、優れた文化を持つ民主主義国家として生まれ変わりました。  ただし北朝鮮は延坪島砲撃事件(2010年)で韓国への攻撃を行い、第3代指導者の金正恩総書記は未だ韓国を「主敵」と名指しで敵視しており核兵器、ミサイル開発を続けています。(なお、韓流ドラマの視聴は北朝鮮では重罪で、最高で死刑です。日本作品、アメリカ作品についても同様です)

未だ日本との歴史問題や領土問題はありますが、現在では日本の若者が韓国文化に触れる機会も増え、民間単位での結びつきはだいぶ強くなりました。これからの時代、東アジアいわゆる日中韓朝などの国々がどのように交流できるか、平和的な対応はどこまでできるか、それらを注視しなければならない時が来ているように思います。長くなりましたが、私の韓国現代史概説は、これで終わりです。

主要参考文献

木村幹著 松田陽三発行 中央公論新社発行 中公新書1959 「韓国現代史」 

大統領たちの栄光と蹉跌 2008年8月25日初版発行 2019年10月15日4版を使用